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したたり草(フィクション)

 昨年、英国の学術雑誌『サイエンス』(*1)に、中国の国家植物研究所の特別班が四川省のチベットに近い山間部で絶滅したと思われた幻の「滴苔草」(中国名)を発見し、人工栽培に成功したとの論文が掲載された。このことで、画期的なタンパク質の合成に展望が開けたとしている。

 「滴苔草」は、岩盤などから染み出る極めて清浄な水に生育する植物で、コケ類とは異なる。青緑の多年草で、夏に小さな黄色い花を咲かせる。夜間わずかに光ることもり、香りを放つものもある。この特徴と我が国で江戸時代に絶滅したとされる「したたり草」が酷似していることが、昨年から文献調査によって指摘されていた。そして、主に植物学の立場から研究が進められ、極めて近い種類であることが最近の研究でほぼ確実となってきた。

 四川省から数千キロも遠く離れる我が国でいま、植物学者ではなく民俗学者が最もこの発見に沸いている。それは、いまでは見ることができない「したたり草」は江戸時代まで農民から武士までの広く人々に珍重され生活に浸透していたからである。「滴苔草」を研究すれば、「したたり草」にまつわる新しい発見があるかもしれないとの期待である。

 我が国の固有種である「したたり草」は室町時代に播磨国(現在の兵庫県)の山中の岩場に自生していたことが文献上の最古の記録である。もちろん、岩から水がしたたる場所にのみ生育できることからこの名前が付けられた。「したたる」はやまとことばであり、漢字の「滴」は訓読みとして当てたものである。

 室町時代にはこの「したたり草」を煎じて飲めば、滋養強壮に効果があることや、夜間に光ることで祭事や信仰の対象となっていた。同時に、「したたり草」を乾燥させ、「鹿の糞」と混ぜて燃やすと、その煙が幻覚作用を起こすこともわかっていた。さらに媚薬としての効果も著しかった。そのため、時の権力者たちは「したたり草」の祭事、信仰以外の利用を厳しく規制したが、「したたり草」はその目をくぐりぬけ、庶民の背徳感を刺激するものになっていたのである。

 江戸時代になり「したたり草」を使った男女の営みが隠れて徐々に広まり、「したたりごと」という言葉が生まれた。近畿地方では祝言の際、村の長が禁制の「したたり草」と「鹿の糞」を新郎に渡す習慣(*2)があり、市井の秘本や春画にしばしば「したたりごと」の文字が見受けられる。当時の人々には「したたり」とは淫らなことを想像させ、うっかり人前で言うにはばかられた言葉であった。先日開催された江戸東京博物館の特別展「江戸の大人の嗜み」では、場所柄もあって「したたりごと」をする春画のような展示はなかったが、挿絵にこのような句が書き添えてあった。

 「したたれば 今宵また来る 娘かな」

 庶民が作った句であるため、稚拙で趣も感じられないが、男の感情が粗く表れている。「したたれば」は「舌足れば」の意味を含ませているかは不明である。

 さて、いま大きな問題となっているのが、我が国に「にわか民俗研究家」が急増したことである。彼らは、中国に行って「滴苔草」を入手し、かつて信仰の対象でもあった「したたり草」に思いを馳せるのではなく、「鹿の糞」を用いて幻覚作用が体験できるか合法的に試すことなのである。一部には四川省の山中を分け入り虎に襲われる事故が多発し、日中の外交問題に発展する恐れも出てきている。また、中国で人工栽培された安価な「滴苔草101号」を入手するケースも起きている。「天然もの」、「人工もの」のどちらも「鹿の糞」と混ぜて燃やすと幻覚作用があるため、厚生省が薬事法改正を急いでいる。

 さらに、中国側を刺激しているのは、「滴苔草」と「パンダの糞」を混ぜて燃やすと、その煙は「鹿の糞」より激しい幻覚作用を起こすことが日本の「にわか民俗研究家」から四川省の住民へ広まってしまったことである。四川省では人々が糞欲しさにこぞってパンダの生育を犯す事態が相次いでいるのである。中国の国内法では人体に害を及ぼしかねない「滴苔草」を用いた幻覚行為そのものは違法とならない。しかし、パンダに関するものはとにかく重罪である。

 昨年度、中国での幻の「滴苔草」発見以来、我が国の近世の風習が中国四川省のパンダに及ぶという思いもかけない騒動となった。現在、中国の国立植物研究所で開発している「滴苔草」を用いたタンパク質の合成では、パンダの好きな笹の成分の合成にも用いられるようである。これで迷惑をかけているパンダへの罪滅ぼしに是非なってもらえればと関係者は願っている。


(註1)米国の学術雑誌『ネイチャー』と並んで世界で最も権威ある科学誌であり、これまでにノーベル賞クラスの業績が多数掲載されている。現在、希少生物や植物からの新しい有機物の発見とその応用方法について、国家間の競争が激しさを増している

(註2)播磨の赤穂藩は「したたり草」を幕府に隠れて密かに栽培し莫大な利益を上げ、その資金を幕府への裏工作に使った。それを断ち切ろうとした幕臣が、吉良上野介の知恵を借りて赤穂浅野家を弱体化させようと画策し、結果として忠臣蔵の物語になったとの説がある

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