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吉村忍 「自分以外はバカ」の時代

 約10年前の記事ですが、印象に残っているのでアップします。

 2003年7月10日 朝日新聞朝刊


 確証はない。印象だけがある。けれど、ぼんやりしたその感じが気になっている。

 そういうことを記しておきたい。この国の低迷はまだ始まったばかり、これから本格的に陥没していくのだろうということ。その暗鬱(あんうつ)な予感についてである。

 ここ数ヶ月、私は毎週のように各地を旅行している。取材や講演だったりするのだが、行く先々に沈んだ光景が広がっている。高齢化と過疎が深いしわとなって刻み込まれた町や村。かしいだ空き家の連なり。色褪せた飲み屋小路に放置された廃車や自転車。商店街に面したスーパーやデパートをのぞいても、買い物客はまばら。どの町に行っても、廃業した店々が錆びついた扉を下ろしたままの、通称「シャッター通り」がある。

 これらの光景自体は、もう珍しくない。バブルが崩壊したあとの不況のせい、と説明もついている。失われた十余年、そろそろ景気も上向いてほしい、いや、上向くだろう、と楽観する向きもある。

 そうなってほしい、と私も思う。だが、けっしてそうはならないだろう、という思いに圧倒される。たぶん問題は、不況ではない。不況が原因と思っているうちに、じつは私たちはもっと大きなものを失ってきたような気がする。そして、その喪失の意味をうまく自覚できていないのではあるまいか。

 数年来、私はこの国から地域社会と企業社会が蒸発し、人々がばらばらに暮らすようになった現実のあれこれを指摘してきた。言うまでもなくこれらは、戦後半世紀、良くも悪くもこの国を経済大国に向けて駆動してきた両輪だった。それがなくなったとき、行政も企業も混乱に陥り、習慣は旧習となり、旧習は旧弊となって、数々の不祥事が噴き出した。不可解な犯罪が多発したのも、地域と企業の双方の磁力が希薄化した地域でだった。

 しかし、二十一世紀の初頭、不景気風の吹きすさぶこの国で個々ばらばらに暮らしはじめた人々の声に耳を傾けてみればよい。取引先や同僚のものわかりが悪い、とけなすビジネスマンの言葉。友達や先輩後輩の失敗をあげつらう高校生たちのやりとり。ファミレスの窓際のテーブルに陣取って、幼稚園や学校をあしざまに言いつのる母親同士の会話。相手の言い分をこき下ろすだけのテレビの論客や政治家たち・・・・・・。

 ここには共通する、きわだった特徴がある。はしたない言い方をすれば、どれもこれもが「自分以外はみんなバカ」と言っている。自分だけがよくわかっていて、その他大勢は無知で愚かで、だから世の中うまくいかないのだ、と言わんばかりの態度がむんむんしている。私にはそう感じられる。

 高度産業社会を経験した人々は、こういう心性を抱え込むのかもしれない。そこでは、だれもが何かの専門家として学び、働き、生きている。金融の、製造の、営業の、行政の、政治の、そうでなかったら消費のプロだ、あるいはそのつもりだ。かぎりなく細分化した一分野に精通しているという自負はだいじだが、それがそのまま周囲や世間に対する態度となる。

 「大衆」という、自分自身もそこにはいっているのかいないのかが曖昧な、使いにくい言葉をあえて使えば、いまこの国は「自分以外はみんなバカ」と思っている大衆によって構成されているのではないか、というのが方々歩いてきた私の観察である。これは「大衆文化」を前向きにとらえた敗戦直後とも、「赤信号みんなで渡れば怖くない」とばかりに大衆を勢いづかせた高度成長期からバブルにかけての時期ともちがう、新しい現実である。

 この現実はやっかいだ。自分以外はみんなバカなのだから、私たちはだれかに同情したり共感することもなく、まして褒めることもしない。こちらをバカだと思っている他人は他人で、私のことを心配したり、励ましてくれることもない。つまり私たちは、横にいる他者を内側から理解したり、つながっていく契機を持たないまま日々を送りはじめた----それがこの十余年間に起きた、もっとも重苦しい事態ではないだろうか。

 不況、テロ、戦争、北朝鮮。どれもが現在のこの国が直面する難問ではあるが、自分以外はみんなバカ、と思い込む心性はそれぞれの問題を外側から、まるで大仕掛けな見世物としてしか見ないだろう。そこに内在する歴史や矛盾を切り捨て、自己の責任や葛藤を忘れて、威勢よく断じるだけの態度が露骨となる。

 そこに私は、この国がこれからいっそう深く沈み込んでいく凶兆を読み取っている。
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