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作詞のこころ

 作詞家は何を発想の種としているのだろう。すばらしい作詞家はいっぱいいる。きっと、物語を持っているのだろうと思う。失恋でも、恋を成就した喜びでも、きっとそれを物語に変え持っているのだと想像する。それから、削り、削り、削り落として結晶のようなものが、歌詞として現れる。それが、事実ではないだろうか。

 まあ、どんな歌でもいい。昭和歌謡が好きな私だから、ここでは「君こそわが命」をだそう。あの川内康範の歌詞だ。

  あなたをほんとは さがしてた 
  汚れ汚れて 傷ついて
  死ぬまで逢えぬと 思っていたが
  けれどもようやく 虹を見た
  あなたのひとみに 虹を見た
  君こそ命 君こそ命 わが命

 これは1番だけ。この歌の味わいは、水原弘の歌唱力にも大きな助けがあるが、実際は川内康範がドブに堕ちた水原弘を救い出そうと、愛をもって作り出した歌だ。川内康範は、遊び人の水原弘が「虹を見る」、「君こそ命」などとは遠い存在と思っていただろう。

 だからこそ、それを描いた。水原弘は若くして死んだ。私より若くだ。一方、川内康範は90いくつまで生きた。晩年は「おふくろさん騒動」で騒がれた。
ここで言いたいのは、川内康範の愛だ。無償の愛を川内康範は説く。月光仮面からレインボーマンを経て日本むかし話まで、貫かれている。

 話が逸れた。作詞家のこころを語りたかったのだ。川内康範は脚本家であり作家である。世に出ている作詞家は、もちろん作詞家専業もいるのだろうが、多くはある思想や思いを遂げる媒体として作詞、いや歌に傾注したのではないかと想像するのだ。

 だから、作詞家になりたければ物語を書け!愛でもいい、憎しみでもいい。性欲、愛欲、酒も飲んでみろ、泥臭く生きてみろ!熱い思いを文字にしろ!これは自分に言っている言葉でもある。
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