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ウソと笑いとノーベル賞

 2012年10月8日、スウェーデンのカロリンスカ研究所は、今年のノーベル生理学・医学賞を、生物のあらゆる細胞に成長できて再生医療の実現につながるiPS細胞(人工多能性幹細胞)を初めて作製した山中伸弥京都大学教授に贈ると発表した。

 この発表のわずか3日後の10月11日、このiPS細胞から作った心筋細胞を、重症の心不全患者に移植する手術が、米国ハーバード大学の森口尚史客員講師らで作るチームによって実施されていたと読売新聞が報じた。森口講師は取材に対し、「日本では、この治療法の認可が煩雑で、彼らを救うことはできなかっただろう」と話したという。

 ところがその後、この森口氏の発表は虚偽であることが判明し、読売新聞東京本社は11月1日付で、編集局長を役員報酬などの返上、科学部長を更迭、科学部のデスクを減俸の処分にした。

 この一連の報道を聞いた我々は「ああ、やっちゃったな」という、いささかの感慨を受けたはずである。大半の人は、森口さんが「功名心に駆られ止むに止まれずウソをいい」との構図を描いただろう。しかしそれは早合点かもしれない。

 そもそも、森口さんはずぶの素人ではない。解雇されたが「東京大学医学部付属病院特任研究員」であって、iPS細胞の研究をしていた。発表した自分の「成果」が学会や仲間の中でどのような判断を受けるか事前に解っていた。いや解りすぎていたはずだ。つまり彼は、自分のウソが必ずばれると思っていた。確信犯とは、それが悪いことと知りつつ、あえて行う行為だ。彼は積極的に確信犯となり、ウソをいったのではないか。

 ある専門家は、彼の一連の行為について「一世一代のコント」と評している。笑いのセンスを持った玄人のようだと言い切っている。釈明の会見で、森口さんは言った。「手術したのはハーバード大学の近くの病院。その病院名は言えない」。記者が「もうウソと認めましょうよ」と促すと「ウソといわれればウソかもしれないが、ウソをついたつもりはない」。

 「つまらない事実より、おもしろいウソを」と言った芸人がいる。別役実に言わせれば、腕のある芸人は、かなりおかしいことをずばっというが、「全然おかしくないよ」という顔をしながら、さらっという。顔だけで、ちょっとしたおかしさのことを何倍もおかしく見せるというところがあるという。いわば、マジメな顔してウソをつくのである。そこに若干深く、大笑いといわれる一瞬のものではない、じわじわ迫って来る笑いが生じる。

 しかし、プロの芸人でもない素人が、誰かをこの手の方法で笑わせることは容易ではない。こちらは、「かなりおかしいこと」と認識しつつも、相手によっては「本当のこと」として思い違いをされて、最後にはウソつき呼ばわりされてしまうことさえある。反対に、瞬間にウソとばれてしまっては効果が薄い。相手に少し考える間を持たせ、「何だ、ウソだったのかよ」と気付かせるくらいがちょうどいい笑いに繋がる。こちらと相手の関係を十分に加味した上で、マジメな顔をしておかしなことをいい、相手に割りと早めにウソと気付かせるのである。

 つまり、まず大切なのは関係なのだ。森口さんの場合、相対するのは読売新聞の記者たちと、その背景にある一般読者である。「ハーバード大学の研究員」、「東大病院の医師」など、めまいのするような大権威で記者を酔わせ、山中教授のノーベル賞受賞で勢いづいたiPS細胞ネタで「大スクープ」をえさに記者を釣ったのだ。森口さんは近所のおばさんにまで「東大教授」、「ノーベル賞候補」と周到な準備をして、周辺取材への対応まで怠らなかった。

 しかも、森口さんの巧妙なところは、発表の内容が「人を救った」という極めて単純明快で、成果が素人にわかりやすいことだ。そもそもiPS細胞のような、生物の細胞を一旦初期化して、あらゆる細胞に成長できるようにできるという、まるで魔術のようなことはにわかに信じがたい。それを逆手に取り、ワンフレーズで見事に言い切ったセンスを専門家は玄人のようだと賞賛しているのだ。

 次にタイミングである。時限爆弾のように、このウソは時間が経過すれば爆発する。読売新聞に掲載されるまで、ウソがばれてはいけない。世間が山中教授のノーベル賞受賞の熱が冷めないうちに、読売新聞が「大スクープ」として記事にすることを望んでいることを、森口さんは知っていたに違いない。
そして、釈明会見である。会見場はコントの舞台と化し、「マジメな顔」をした森口さんがおかしなことを言う。ウソが過剰にサービスされ、だまされた記者さえ笑いを誘うものであることに、軽い衝撃を受けたはずである。これで一連のコントが終了したのだった。

 ただ疑問が残る。なぜ、森口さんはウソを言ってまで、我々を楽しませるようなサービス精神を持つ必要があったのかということである。このことを考えると、私はもう20年以上前のマラソン中継を思い出す。

 ある選手は、そのマラソン大会で15kmくらいまで。世界最高記録を上回るハイペースで走って先頭に立った。そのおかげでテレビにずっと映り続け、その後失速して棄権したのだ。マラソンの解説者は「目立ちたがりの男ですから。そのうち脱落します」と冷静に言ってのけ、そのとおりとなった。この選手に功名心への野心はない。彼は、マラソン大会に出場できる選手であり、素人ではない。自分の走りが一時的であり、その後どうなるか事前に解っていた。いや解りすぎていたはずだ。

 同様に、森口さんも決して功名心ではなく、一度だけでも注目されたかったというのが、本当のところだろう。しかし、結果として「一世一代のコント」となってしまったことが、この話を週刊誌的にさせ、さらにウソと笑いの関係を我々に教えてくれたと言えないだろうか。ネット上では、森口さんについて「平成のブラックジャック」、「笑いのノーベル賞」などと一部ではあるが「賞賛」する立場の人さえいる。

 もちろん、森口さんのウソを、科学技術研究における「あるまじき行為」とする向きもある。当然かもしれない。これは極めて常識を備えた考えだ。しかし、その代償は「もう研究はしない」という「卒業宣言」で自ら帳消しとし、共著とされ「被害者」となった研究者も新聞、テレビに取り上げられる恩恵に浴した。何よりも森口さんは、誰からも金を詐取していない。そして、第三の権力といわれる大マスコミと刺し違えた功績は大きいと人々は思っているのである。

 さて、大新聞など大マスコミに対し疑い深くなってしまった我々は、本当にiPS細胞のような呪術を信じていいのだろうか。ノーベル賞という日本人が震えてしまうような権威にだまされているのではないか、と考えてもいいはずである。いまだに、アポロ11号の月面着陸の映像は。実はハリウッドで撮影されたものだと疑っている人はたくさんいる。それを否定する根拠がないのと同様だ。

 中山教授は整形外科医として腕が上がらず、研究者に転進し様々な挫折を乗り越え、今回の受賞だ。受賞理由は、「細胞や器官の進化に関する我々の理解に革命を起こした」ことである。教科書に乗るような美談だ。文武両道でマラソンも完走でき、まず奥様に感謝したいと語る愛妻家でもある。だから、我々はロマンとしてこの報道を信じるべきだ。

 これがウソだったら、もう笑いにはならない。時間が経ってしまって、信じてしまっているからだ。
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